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(平12.4.14裁決、裁決事例集No.59 99頁)

《裁決書(抄)》

1 事実

(1)事案の概要

 本件は、いわゆるエスクロー契約(Escrow Agreement)により、株式及び新株引受権の売買契約によって生ずる売主の補償責任の履行を担保するため、売買代金の一部を第三者に1年間預託する方法で取引がされたことから、当該預託された売買代金相当額について、譲渡所得の総収入金額の計上の時期(株券等の引渡時か預託期間の終了時か)が争われた事案である。

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(2)審査請求に至る経緯

 審査請求人E及び(以下「E」という。)及び同F(以下「F」といい、Eと併せて「請求人ら」という。)の平成9年分の所得税についての審査請求(平成11年5月7日)に至る経緯とその内容は、別表1に記載のとおりである。
 なお、請求人らは、Eを総代として選任し、その旨を平成11年6月30日に届け出た。

(3)基礎事実

 次の事実については、当事者間に争いがなく、当審判所の調査によってもその事実が認められる。
イ 請求人らは、コンピュータソフトウエアの開発等を業とするH株式会社(以下「H社」という。)の株主であるが、請求人らを含むH社の株主らは、企業買収(M&A)の申し出を受け、これを株式買収方式で行うこととし、平成9年2月28日にその保有するすべてのH社の株式及び新株引受権(額面普通株式112,744株及び新株引受権245,000株。以下「本件株式等」という。)をJ株式会社(以下「J社」という。)に対して、次のとおり譲渡する旨の買収契約(以下「本件買収契約」という。)を締結した。
(イ)H社の株主らは、本件株式等をJ社に譲渡(移転)し、それと引き換えに、J社は、買収金額の総額4,350,000,000円を同株主らの代理人であるEに引き渡す。
(ロ)J社は、株券及び新株引受権証券の引渡日以前に締結されるエスクロー契約に従って、買収金額よりエスクロー資金を留保し、当該資金をエスクローエージェントに預託する。
(ハ)このエスクロー資金は、本件買収契約に基づくH社の株主らの補償責任を担保することを目的として保管される。
(ニ)H社の株主ら若しくはH社が行った事実の表明、保証及び約束、又は証書、書類若しくは法律文書における不実表示、違反及び不履行から生じるあらゆる損害については、H社の株主らがJ社及びその関係者に対して補償責任を負う。
(ホ)本契約に基づく取引は、平成9年3月14日に行う。
ロ 本件買収契約に基づく株券及び新株引受権証券の引渡しは、上記約定に従って平成9年3月14日に行われ、同日、売買代金のうち3,850,000,000円はH社の株主らに支払われたが、495,000,000円は、J社・エスクロー資金(JK.K.Escrow Fund。以下「本件エスクロー資金」という。)として、また、5,000,000円は、株主エスクロー管理資金(Shareholders Escrow Adminstration Fund)として、同日付で買収当事者及びK銀行との間で締結されたエスクロー契約(以下「本件エスクロー契約」という。)に基づき、J社によってエスクローエージェントであるK銀行に預託された。
 なお、Eが譲渡したのは、62,880株の普通株式と120,000株の新株引受権、また、Fが譲渡したのは2,120株の普通株式で、それぞれの譲渡価額はEが2,233,700,596円、Fが28,536,776円である。
ハ 本件エスクロー契約に基づき、K銀行に預託された資金のうち、株主エスクロー管理資金は、H社の代表株主(以下「代表株主」という。)として選任されたE名義の預金として預託され、代表株主からの書面による請求により、同人を通じてH社の株主らに支払われることになっていた。
ニ これに対し、H社の株主らの補償責任を担保することを目的として預託された本件エスクロー資金は、平成9年3月14日から1年を経過するまでの期間(以下「エスクロー期間」という。)において、補償をしなければならない事由が生じた場合は、その補償金に充てられ、同期間の終了時にこの資金に残金があればその残金はH社の株主らに対して支払われることになっており、エスクロー期間中は、J社及び代表株主名義の預金として預託され、支払は、両名義人の書面による指示(合同記述指示)により行われることになっていた。
ホ K銀行は、エスクロー期間終了後の平成10年3月16日に、本件エスクロー資金の全額及び同資金に係る利息相当額を代表株主であるEの口座に振り込む方法で、H社の株主らに対して支払った。
ヘ H社の株主らは、平成8年3月22日に株式会社L(以下「L社」という。)とアドバイザリー契約を締結し、本件株式等の譲渡に関してL社のアドバイスを受けることとし、この対価として同社に成功報酬を支払う旨を約した。
ト 上記アドバイザリー契約に基づいて支払われる成功報酬のうち、本件エスクロー資金及び株主エスクロー管理資金に対応する成功報酬の額は、当初の契約条項によれば52,500,000円であったが、エスクロー期間終了後の平成10年4月16日付の請求書及び確認書により、L社及びM株式会社に対する各18,375,000円、合計36,750,000円(以下「本件報酬」という。)の支払に変更され、平成10年4月30日に両社に対してそれぞれ支払われた。
チ 請求人らは、平成9年3月14日に、本件買収契約書の附属書類Aに記載されたH社の株主らの各譲渡価額に相当する金額(Eの金額が2,233,700,634円、Fの金額が28,536,775円)を有価証券取引税の課税標準として、Eが4,690,700円、Fが59,900円の有価証券取引税をそれぞれ納付したが、これらの有価証券取引税の納付資金は、その全額をJ社が負担した。

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2 主張

(1)請求人の主張

 原処分は、次のとおり違法であるから、その一部の取消しを求める。
イ 本件更正処分について
(イ)収入金額について
A 所得税法第36条《収入金額》第1項によれば、総収入金額に算入すべき金額は、その年において収入すべき金額である旨規定しており、譲渡所得の帰属時期は、権利確定主義により判定することとなっている。
 本件株式等の譲渡代金のうち、本件エスクロー資金相当額については、支払に条件が付されており、その条件が成就するまでは金額が確定せず、また、相手方に対する譲渡代金の支払請求権が生じないので、この資金は、平成9年分の譲渡所得に係る総収入金額には該当しない。
 本件エスクロー資金は、エスクロー期間終了後の平成10年3月16日にその金額が確定し、受領できるようになったものであるから、平成10年分の譲渡所得に係る総収入金額であって、請求人らは、平成9年中にはその利得を現実に支配管理しておらず、自己のためにこれを享受することができなかったのである。
B 請求人らが、平成9年3月14日に有価証券取引税を全額納付したのは、〔1〕契約の際の必要書類として、委任状、取締役会議事録、株券現物などとともに有価証券取引書、有価証券取引税納付書及び印紙を準備しなければならなかったこと、〔2〕有価証券取引税の税額が少額であったこと及び〔3〕当該税額相当額をJ社が全額負担し、買収金額とともに同時に受領したことなどの実務上の事情からであり、請求人らは、本件買収契約による譲渡価額の総額が平成9年分の譲渡所得の収入すべき金額であることを自認してしたものではない。
(ロ)譲渡に要した費用について
 本件報酬のうち、本件エスクロー資金に対応する報酬は、平成10年4月に支払額が確定したのであるから、平成10年分の譲渡所得の総収入金額から控除すべき必要経費である。
(ハ)本件株式等の譲渡による所得金額について
 上記(イ)及び(ロ)によって計算すると、本件株式等の譲渡に係る平成9年分の所得金額の正当額は、別表2の「請求人主張」欄に記載のとおりである。
ロ 本件賦課決定処分について
 上記イのとおり本件更正処分はその一部を取り消すべきであるから、これに伴い本件賦課決定処分もその一部を取り消すべきである。

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(2)原処分庁の主張

 原処分は、次の理由により適法である。
イ 本件更正処分について
(イ)収入金額について
A 所得税法が権利確定主義を採用していることは、請求人らの主張するとおりであるが、権利確定主義の当然の帰結として、譲渡所得の総収入金額の収入すべき時期は、原則として譲渡資産の引渡しのあった日と解される。
 そうすると、本件株式等は、本件買収契約に基づき平成9年3月14日にJ社に引き渡されていることから、当該買収契約による譲渡価額の総額が平成9年分の譲渡所得の総収入金額に算入すべき金額となる。
 請求人らは、本件エスクロー資金について、平成9年中に、その利得を現実に支配管理せず、自己のためにこれを享受していないので、平成9年分の収入金額に該当しない旨主張するが、この主張は、経済的利益の享受をもって収入すべき時期を決定しようとするものであって、権利確定主義に基づくものではない。
 売買代金の支配管理の移転あるいはその利益の享受を基準として、収入金額の収入すべき時期を判断する取扱いはなく、請求人らの主張は、所得税法上の取扱いに合致しない独自の見解である。
B 本件エスクロー契約は、本件買収契約書に定めるH社の株主らのJ社及びその関係者に対する補償責任を担保する目的で、その譲渡代金の一部の支払を留保するものであるから、たとえ、その補償が本件株式等の譲渡代金を原資としてされたとしても、そのことで本件株式等の譲渡に係る収入金額に影響を及ぼすものではない。
C また、請求人らは、それぞれの譲渡価額の総額を課税標準として有価証券取引税を計算し、平成9年3月14日に納付しているが、有価証券取引税法第12条《その他の方法による納付》は、有価証券取引税の納税義務者は、有価証券の譲渡をした日の翌日までに当該有価証券の譲渡につき課されるべき有価証券取引税を納付しなければならない旨規定していることからすれば、請求人らは、本件株式等の譲渡の時期が平成9年3月14日であり、また、平成9年分の譲渡所得に係る収入すべき金額は、本件買収契約に基づく譲渡価額の総額であることを自認しているものと認められる。
(ロ)譲渡に要した費用について
 本件報酬は、本件株式等の譲渡のため直接に要した費用であり、上記(イ)のとおり、本件エスクロー資金を含む譲渡価額の総額が平成9年分の譲渡所得の総収入金額となるから、その全額を平成9年分の譲渡所得の計算において控除する必要経費の額に算入すべきである。
(ハ)本件株式等の譲渡に係る所得金額について
 上記(イ)及び(ロ)によって計算すると、本件株式等の譲渡に係る所得金額の正当額は、別表2の「原処分庁主張(更正処分)」欄に記載のとおりとなる。
ロ 本件賦課決定処分について
 本件更正処分により納付すべき税額の計算の基礎となった事実が更正前の税額の計算の基礎とされていなかったことについて、国税通則法第65条《過少申告加算税》第4項に規定する正当な理由がある場合に該当しないから、同法第1項の規定に基づいて行われた過少申告加算税の賦課決定処分は適法である。

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3 判断

(1)本件更正処分について

本件審査請求の主な争点は、本件エスクロー資金に係る請求人らの対価に相当する金額(持分額)を平成9年分の譲渡所得に係る総収入金額に算入すべきか否かにあるので、以下、審理する。
イ 収入金額について
(イ)所得税法第36条第1項は、その年分の各種所得金額の計算上、総収入金額に算入すべき金額はその年において収入すべき金額とする旨規定し、収入すべき権利の確定したときに収入金額に算入するという、いわゆる権利確定主義を原則とすることを明らかにしている。
 譲渡所得の総収入金額に収入すべき時期については、譲渡所得の基因となる資産の現実の支配を基準とし、これが相手方に移転する時期、すなわち資産の引渡しがあった日を収入すべき時期とするのが相当であり、この日をもって譲渡所得の実現の時として捉えるのが一般の取引の実態にも適合するものと解される。
(ロ)これを本件についてみると、前記1の(3)の各事実によれば、本件買収契約において本件株式等の買収総額は4,350,000,000円と定められ、また、本件買収契約に基づく株券及び新株引受権証券の引渡しは、約定どおり平成9年3月14日に行われたことが認められるから、同日をもって、その対価である本件株式等の売買代金及び有価証券取引税相当額につきJ社の支払義務が確定するとともに、H社の株主らはこれらの対価について確定的に支払を請求し得るようになったということができる。
 そうすると、本件株式等の譲渡に係る譲渡所得の総収入金額に算入すべき金額は、平成9年3月14日にその総額について譲渡者の権利が確定したというべきであるから、本件エスクロー資金に係る請求人らの対価に相当する金額を含めて、平成9年分の譲渡所得の総収入金額を算定した本件更正処分は適法である。
(ハ)これに対し、請求人らは、エスクロー期間が終了するまでの間はH社の株主らが本件エスクロー資金から受け取ることができる金額は確定しないから、同期間が終了し、この金額が確定する平成10年分が本件エスクロー資金の収入すべき時期であると主張する。
 しかしながら、上記(ロ)のとおり、請求人らの代金請求権は平成9年3月14日に確定したといえるのであって、むしろ本件の場合に確実でないのは、前記1の(3)のイの(ニ)の約定に基づくH社の株主らの補償責任の有無であるということができる。
 そして、本件買収契約に限らず、およそ売買契約においては、売主に債務不履行に基づく損害賠償責任や瑕疵担保責任が生じ、これを追及される可能性があるところ、このような可能性があるからといって売買代金の支払請求権が確定していないとは解せられないから、上記責任を追及されるおそれがある段階においては、譲渡所得の総収入金額に算入すべき金額が確定しないと解することが不合理であることは明らかである。
 要するに、請求人らは、このような将来発生するか否かが不確実な補償責任が現実のものとなった場合のことを想定し、このことを前提として、H社の株主らが本件エスクロー資金から受け取ることができる金額(エスクロー期間終了時における本件エスクロー資金の残額)が確定しないと主張しているに過ぎず、かかる主張は、請求人らの独自の見解に基づくもので、所得税法第36条第1項の権利確定主義とは相容れないものである。
(ニ)また、請求人らは、本件エスクロー資金については、エスクロー期間中は、その利得を現実に支配管理し、自己のためにそれを享受することができなかったのであるから、平成9年分の総収入金額には当たらない旨主張する。
 しかしながら、前記1の(3)の基礎事実によれば、本件エスクロー資金は、単に、本件買収契約により決定された代金総額の一部がH社の株主らの補償責任の履行を担保するために第三者に預託されたもの、換言すれば、当該責任の履行を担保するために代金の支払方法に条件が付され、H社の株主らに対する売買代金の一部について現実の支払が留保されたに過ぎないものである。
 このような取引は、例えば、売買代金を分割の方法又は先付の小切手若しくは手形で決済をする場合など、その支払方法に条件を付して行われる取引と何ら異なるところはなく、売買代金の支払方法に条件が付されたからといって、そのことで譲渡所得の総収入金額に算入すべき金額に影響を来すものではない。
(ホ)なお、原処分庁は、請求人らの有価証券取引税の納付について縷々主張するが、これをもって本件譲渡所得の総収入金額に算入すべき金額の適否を判断することはできないから、この点に関する原処分庁の主張は採用できない。
ロ 譲渡に要した費用について
 本件報酬が、本件株式等の譲渡に要した費用に該当することについては、当事者双方に争いはなく、その争点は、専ら本件報酬の額を譲渡に要した費用の額に算入すべき時期にあるところ、本件エスクロー資金を含め、本件株式等の譲渡価額の総額に対応する請求人らの受領すべき対価の額を平成9年分の譲渡所得の総収入金額に算入すべきであることは上記イで判断したとおりであるから、本件報酬の額は、所得税法第33条《譲渡所得》第3項の規定により、平成9年分の譲渡所得の計算上、総収入金額から控除すべき譲渡に要した費用の額に算入すべきである。
ハ 本件株式等の譲渡による所得金額について
 上記イ、ロ及び所得税基本通達38―16《土地建物等以外の資産の取得費》の定めによって計算すると、本件株式等の譲渡に係る平成9年分の譲渡所得の金額の正当額は、本件更正処分の額と同額となる。

(2)本件賦課決定処分について

 以上のとおり、本件更正処分は適法であり、また、更正処分により納付すべき税額の計算の基礎となった事実が、更正処分前の税額の計算の基礎とされていなかったことについて、通則法第65条第4項に規定する正当な理由があるとは認められないから、同条第1項の規定により行った本件賦課決定処分は適法である。
(3)原処分のその他の部分については、請求人は争わず、当審判所に提出された証拠資料等によっても、これを不相当とする理由は認められない。

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